暮らしの中での思い事をつづります


by carmdays
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心の旅路~一艇のボートと一枚の枯葉

 今の仕事に就くまで、長いこと派遣社員をやってきた。望んで派遣社員になったのではなく、致し方ない事情が重なり、それまでやっていた正社員の仕事を手放すしかなかったからだ。辞めて就職活動をしたが世の中は不景気で、当時唯一決まったのが派遣社員の仕事だった。

 不況の中にあって、正社員の仕事を決めることは至難の業で、いくら応募しても決まらない。無数に不合格通知を積み重ねるだけだったが、では派遣社員の仕事なら簡単に決まるのかと言えば、次々に応募しても断られ、長い時は九か月間、派遣の仕事に就くことでさえできなかった。

今振り返れば、総じて約六年間も派遣の仕事で、働いていたとはいえ、毎年、一年のうち三ヶ月間だけの就業とか、最長でも六ヶ月間だけの勤務で、残りの期間は無職という月日を過ごしてきた。

 当時、ほぼ毎日仕事に無数に応募した。例えば、派遣社員の仕事情報サイトを朝一番に見て、一ページ目から十六ページ目まで全てに目を通す。だが応募したくても、応募できるのは一日に五件までと決まっている派遣会社もあり、その派遣会社にですら電話で問い合わせても、もう候補者が決まっているのでと体よく断られた。

一年のほとんどを無職で過ごさざるを得なかったわたしは、毎日天を見上げて、よくこう感じていた。あぁ、わたしは荒波に浮かぶ一艇のボート。まるで、風に吹かれて転がる一枚の枯葉だと。

わたしという一艇のボートは、荒れ狂う波にのまれ、くるくると回り続け揺り動かされ、強風が吹き付ければ傾き、嵐が襲えば転覆し、雷が鳴り響けば砕けそうで、どこに辿りつくのかさえわからない。翻弄されるがままで羅針盤や舵さえない一艇のボートそのものだった。それは、不況という時代の風に吹かれ舞い転がる一枚の枯葉のようでもあった。

これらの二つの「わたし」という人間の頭に浮かぶ姿は、まさに自分の意思とは無関係に、時代や企業、他者に、わたしの存在がくるくると転がされていることを実感させるものだった。同時に、自分の存在がこれほど軽く扱われるものなのかと、ひどく落胆し、心身ともに疲弊させられた。

就職活動において、自分の希望や意志が通る、伝えられるということは、船で言えば羅針盤と舵があるようなもの。自分で自分の進む方向を決められるということだ。だが、不景気の中で、企業や派遣会社の言い分をのまなければ職を得られない立場に立たされると、希望や意志などというのは通らないどころか、聞き届けてはもらえない。そうなると、相手次第で状況がコロコロと変えられてしまう立場に立たされ続け、いわば舵のない一艇のボートになり、また風にただ吹かれて飛ぶだけの枯葉になってしまうのだ。そんな弱者に追いやられている自分を痛感することが、当時、一番悲しく辛い出来事であったと思う。

派遣社員という立場は、客観的に見てとても不公平な身分であり、長らく働けば働くほどそれを痛感させられた。

例えば、まず交通費が出ず自腹で、契約期間も一ヶ月または三ヶ月と、とても短い。一ヶ月ごとの仕事だと毎月契約更新をしなくてはならず、馬鹿げていると思ったことも度々だ。そんな馬鹿げたことのために、毎月契約更新が可能か気をもまなくてはいけなくなる。また派遣社員が最大限働ける期間はたったの三年間。それ以上は同じ企業では働けない。安心も安定も得られなかった。当然ながらボーナスもない。正社員の人と同様に働いていてもである。

おまけに、有給休暇や夏休みもない。一応「有給休暇は半年以上勤務すれば付与される」と書面には書いてあるが、そもそも契約更新がなければ事実上ないも等しい。休めば時給制だから給料も減ってしまうので、むやみに休むことはできなかった。そして、研修や昇進もないのだ。

派遣社員であるにもかかわらず、夜中まで働いてくれと言われたことが二度あったが、正社員でさえやらないことを求められ、断れば、契約更改時に「更新しないことになりました」と伝えられた。つまり、解雇だった。

それは、やっと嵐の中でかろうじてたどり着いた島の住人から、「ここに留まりたいなら要求をのめ。でなければこの島から出ていけ」と追い出されるような、そんな流浪の身である私を見せつけられた思いがし、その都度、暗雲垂れ込める未来に希望を失い、理不尽な扱いに気力を奪われ、心は砕け散っていた。

派遣会社がうたい文句で使う「自分のスタイルで働けます」というのは、実態とかけ離れている。そんな夢に溢れたものではない。もしそれが本当だと言える人がいるとしたら、家計を担わなくてよい人たちだろう。経済的に自分の足で立ち、日々の暮らしを成り立たせなくてはならない人々にとっては、労働力の搾取だった。

こんな有様だったので、方向さえ定めることができず、他人の意志次第で日々状況が変わってしまい、生きるということさえままならなかった時代は、嵐の中でくるくる回る舵のない一艇のボートそのものであり、強風で転がされる一枚の枯葉だったのである。

二〇一一年七月のことだ。もう絶体絶命でこれ以上は無理だ。そんな窮地の隅にまで追いやられていたわたしに、突如一筋の光が差し込んだ。それは何の気なしに受けていた先から届いた一通の内定通知だった。まさかという思いで天にも昇る気持ちでいっぱいになり、それを目にして初めて、長い嵐の中の航海に終止符を打てる、人生を作り直せると思えた。

もちろん最初の一年間は、たどり着いた「島」で居場所を作ることに色々と大変なこともあったが、今こうして働き早五年になる。もう舵のない一艇のボートとして荒波にのまれることも、枯葉として強風にあおられ転がることもなくなった。その安堵だけが今の私を取り巻いている。

よく人生は鉄道レールや山道に例えられるが、わたしにとって長い航海そのものだった。今この瞬間も、理不尽な立場で働かざるを得ない人々の苦悩を思うと、当時の自分の姿が鮮明に蘇る。そして、不況の中で仕事を求める人の苦境に立たされている現状を伝えるニュースを聞くたび敏感に反応する自分がいる。その人たちの苦悩は他人事ではなく、かつて同じ体験をした者の一人として、その心の痛みがわかるからだ。同時にそれは、当時の辛かった記憶を忘れないようにと戒め、今の仕事や暮らしを大事にしていこうという新たな決意を得る機会にもなっている。喉元を過ぎて熱さを忘れたら、苦しかった時代が生かされないで終わるからだ。

かつて、わたしは嵐に翻弄される一艇のボートであり、一枚の枯葉だった。そのことを終生忘れることなく今を生き、いまだ就職の苦しみの中にある人々の声にこれからも耳を傾け続けていきたいと思う。


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by carmdays | 2015-05-27 08:05