暮らしの中での思い事をつづります


by carmdays
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心の旅路~未来の可能性の選択肢

 二〇〇一年春、わたしは途上国のことを学ぶために大学院に進学した。大学を卒業後、いったん会社員として働いた後の入学であった。ちょうど世界はアジア通貨危機に翻弄されていた時代で、中南米、ロシア、アジアと立て続けに危機に見舞われた世界経済は、途上国の人々の暮らしを根底から揺さぶっていた。何かできることはないのか、そんな思いだった。

 途上国支援を行う業界、または世界の中で、絶対的貧困という言葉がある。国連の専門機関である世界銀行の定義によれば、一日一ドル以下で暮らす貧しい人たちの事を指して使われている。だが、わたしの恩師は、その言葉の本質はそこではないと教えてくれた。絶対的貧困の本当の意味とは、未来の可能性の選択肢を持たざることだと。この恩師の言葉は、その後常にわたしの心に在り続け、長い無職時代の最中にあっても、未来の可能性の選択肢という言葉を指針に、未来を見据えていた。

 学生当時、貧困とはどこか他の国において起こることなのだ、と勝手に想定していた。だが社会に出て、不況という波に飲み込まれ、わたし自身が社会の底辺の中でもがく時代を過ごしているうち、それは誰か他者の話ではなくわたし自身の話なのだということに気づかされた。

 以来、わたしは同様の苦境に立っている人々のことがつぶさに書かれている書籍を読みあさり、新聞記事を目で追い、ニュースに耳を傾けた。そこには明日をも知れぬわが身を憂い悲しむ人や、もう諦めきっている人、必死に這い上がろうと懸命に歯を食いしばって生きている人たちがいた。

 貧困の中にあって、貧困の意味を知る。当時の私はまさにそれを地で行った。例えば、気分転換に都心の風景を見に行きたくとも、交通費が出せない。例えば、お腹が空いてちょっとお店に入って食事をとろうと思っても、飲み物代を出すのが精いっぱいで、他にはオーダーすることもできなかった。お金がないということは、移動の自由も制限されるし、食べることも制限されるということを意味していた。その制限の意味を、実感として学んだわけである。

 お金がないことであらゆる物事が制限されたが、唯一、潤沢に自由に使えるものが時間だった。わたしはその時間を自己啓発と未来を思い巡らすことに使った。これが一つ叶ったら、これをしよう。そうしたら、まずはこの目標をクリアして、次にこれ。そうやって、一つひとつ道筋を明確にすることで、不採用通知を受け取るたびに落ち込む気持ちを奮い立たせていた。

 わたしの未来というものを考えたとき、仕事が決まらないにも関わらず、未来は無限に広がっているようにも思えた。何もないからこそ、無から始める強みがあった。だが一方で、不採用通知が立て続けに届くと、わたしの未来は行き詰まり、どうしようもないほど可能性が閉ざされているように思えた。未来の可能性の選択肢があるということは、言い換えれば、希望があるかないかということだった。それは生きるということに直結した根源的なものだった。

 そうやって何年もの間、就職活動で揺り動かされる日々を過ごしていた頃、ある一つの事に気づかされた。例えば、確かに不採用通知が立て続けに届けば、未来が閉ざされているだけでなく、能力やスキル、存在価値そのものまで否定されたように思えたものだが、その一方で、自分だけは自分の価値がわかっていると心を強く持つことができた。他の誰も助けることができない、救ってくれない中で、それは唯一自分を慰める方法であったと思う。そうすることで、わたしは自ら自身の中に希望の光を宿し、自分の生きてきた人生の軌跡を肯定することができた。そうやって初めて、あらゆるものが制約される中、わたしの精神だけは自由に羽ばたくことができた。誰もわたしの心を縛れない。しいたげることもできない。これこそが、本当の、未来の可能性の選択肢なのだと思えた。

 絶対的貧困、つまり未来の可能性の選択肢がないという問題は、誰の身の上にも起こりうる。だが、一歩引き下がれば、そこには一つきりではない未来の可能性が広がっている。その事に気づけるかどうか。それは、今という時を過ごすわたしたちに、希望の光を投げかけてくれるものになっている。


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by carmdays | 2015-05-27 08:05