暮らしの中での思い事をつづります


by carmdays
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心の旅路~神聖な時間

出勤途中、前方にくいっと顔を向けると、目の前に「天使の階段」が出現していた。誰が名づけたのか知らないけれど、雲の切れ間から、太陽の日差しが一筋の線となって降り注ぐ光景を「天使の階段」というそうだ。太陽の光が四方八方に線状となって、雲の切れ間から地上に差し込んでいる。その光景は、まさに天上界が現れたかのようだった。その幻想的な光景にずっと見惚れ、しばし見入ってしまった。

なんていい朝だったのだろう。

写真家の星野道夫は、著書の中で、神聖学者ジョセフ・キャンベルの言葉を紹介している。「人は、一日の中で、自分に帰ることのできる神聖な時間を持たなくてはならない。」

出勤途中に見たその天使の階段と対話した時間は、まさしく神聖な時間そのものであった。

もし、ジョセフ・キャンベルの言うように、自分に帰ることができる時間を神聖な時間と位置づけるなら、わたしのそれは、まさしく仕事帰りのお茶をする時間であり、空を見上げながらひと時を過ごす時間とも言えた。なぜなら、一日の自分を振り返り、思いを確かめ、疑問に答えをだし、気づきを得、学びを得、反省を得、未来に、今に、人生に、思いを馳せることのできる時間だからだ。 

例えば、駅カフェで一杯のミルクティーを注文し、窓際に座ってお茶を飲むと、ほっと一息つける。聞こえてくるボサノバの曲が耳に優しく、時折、電車が到着するたびに改札へと吐き出されていく乗客たちの流れを見やれば、一日の出来事から感じたこと、思ったこと、考えたことが次々と頭に浮かんでくる。それらを思い巡らし、考えをまとめ、一つひとつに答えを出していくと、心を覆っていた雑念が取り払われ、心が一つに定まり、また明日へと向かう確信が得られるのだ。この一連の作業で素の自分を取り戻す。だからこそ、そんな時間はわたしにとって神聖な時間そのものだった。

例えば、それは他の一瞬の中にも宿っている。突き抜けるように澄み切った青空や、漆黒の群青色が夜空を覆う時、空飛ぶ鳥や浮かぶ星々。それらの中に、今を生きるということを見出し、わたし自身を見る。それは、宇宙との対話のひと時であり、一人静かに空を見上げる時、わたしは私に帰っていく。まるで心の世界が浄化され、澄み切った心持ちを手に入れるかのようでもあった。

現代に生きるわたしたちは、日頃、溢れ返るような情報と感情のうねりにさらされ生きている。それは時に意識を高揚させ、時にひどく人を疲弊させる。中には、人は一人で生きている訳ではないと言わんばかりに、あえて人のしがらみの中に飛び込み、生きていこうとする人もいるかもしれない。

だが、そうやって毎日を走り過ぎていくうちに、気づけば、自分がどちらへ向かって進んでいるのかを見失い、時には我をも見失う場合だってある。そんな時代に生きているからこそ、わたしたちはひと時、独りに立ち返り、心の内を静かに見つめ、今何を求めているのか、確かめる時間が必要なのだ。

「人は、一日の中で、自分に帰ることのできる神聖な時間を持たなくてはならない。」

人によって姿を変える神聖な時間は、きっと、暮らしのあちらこちらに宿されている。



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by carmdays | 2015-05-27 08:11