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暮らしの中での思い事をつづります


by carmdays
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心の旅路~夢叶う未来に向かって

家の近所に「めばえ教室」という名の幼児教育スクールがあり、そこを通りかかると、壁一面に子供たちが書いた未来の夢が掲げられていた。そこには「夢叶う未来に向かって」と見出しが書かれており、壁に張り出されたメッセージを覗き込むと「芸能人になりたい」、「サッカー選手になりたい」、「セブンイレブンになりたい」など子供たちの多種多様な夢が広がっていた。

 今のわたしにとって夢とはなんだろう、と考えたとき、これといった大それた目標やなりたい職業があるわけではなかったが、静かで、平和で、安心できる安定した暮らしを手にすることができたら、それで万々歳だった。

 保育園児だった頃、キャビンアテンダントになってみたかった。きれいなお姉さんとカッコイイ制服に憧れたからだ。小学生になると、途上国の人々を助ける国連職員になってみたいと思い、大人になると慈善事業に寄付できるような投資家になってみたいと思いは変わっていった。そのどれもが叶ったわけではなかったが、そのはしくれに関わって働くことができた時期もあった。どうも以前のわたしは随分と目標が大き過ぎたようだ。

 先日、久しぶりにファミリーレストランのジョナサンに行き、以前よく通い詰めた当時の定席に陣取って、窓の外を眺めた。「時の木」とわたしが命名した銀杏の木は、変わらず店の前の通りに立っていた。長い無職の時代、ジョナサンに毎日通って勉強し、未来を憂い、思いを巡らし、自己啓発の本を読むなどして気持ちを固めることを繰り返した。

あれからどれだけの歳月が過ぎたのか。苦しい時も悲しい時も、落ち込んだ時にも、ジョナサンと「時の木」はいつもそこにあった。この場所がなかったら、わたしは自分を取り戻すことなどできなかっただろう。ましてや七年にわたる苦難を乗り越えることもできなかったはずだ。

いつしか、生きることと格闘していた時代は過ぎ去り、平穏な日々が手の内に戻ってくると、次第にジョナサンに行く回数は減ってきた。同様に、自宅の最寄駅にある駅カフェでお茶をする回数も次第に減っていった。それらは小さな習慣の変化だったが、わたしには大きな意味を持っていた。

以前は悩みが深く、その分、わたしは沈思黙考の時間を必要としていた。毎日激しくアップダウンする気持ちをなるべく整え、心が不安で揺るがないように気持ちを固めることが必要だったのだ。そのためのジョナサンであり、そのための駅カフェだった。お茶をする時間が長いほど、苦しい状況に自分がいることの証。だから、この習慣の変化は、わたしに平和が戻ってきたことを象徴する出来事であり、同時に、かつて抱いた夢と決別した証でもあった。

人は夢を見る生き物だが、昔のわたしは現実が辛い分、夢の中に遥か遠き現実にならない夢を見た。そうすることで苦しさから一時逃れられたのだが、いわば大それた夢だった。だが、非現実の世界や夢は、苦しかった当時の私にとっては、叶ったらどれだけ素晴らしいだろうかという希望だった。

「めばえ教室」の子供たちがこの先どんな夢を抱き、語り、実現していくのかはわからないが、その小さな背中を押して応援したいのは、単にわたしが夢を叶えられなかったからではなく、子供たちが願う理想の自分の姿を、いつか叶えてもらいたいという先人としての願いであったりする。

今わたしには目標が九つあり、それはたった一ヶ月や一年では達成できないのだが、三年、五年と時間を味方につければ、目標を具現化できるのではないかと考えている。以前の夢が大それたものだったとしたら、今の目標は実現可能な、地に足のついたものになっている。それだけ、わたしの暮らしが安定した証でもあれば、身の丈に合った無理のない目標がようやく分かるようになったから、と言えるのかもしれない。

ただ、一つ、夢の実現について言えることがあるとするなら、夢というのは、思い描いた内容がそのまま実現しなくても、別の形でそれが結実することがあるということだ。多くの場合、人は夢が叶わないと挫折や諦めという言葉で締めくくるが、夢の持つ不思議な力は、培った体験や経験から別のフィールドで実りをもたらすことがある。

例えば、わたしの場合、就職難で苦しかった時代の日記がエッセイ作品となった。苦しい心の内を吐露していただけのものが、書き続けることで自身や世の中への考察が深まり、それらを表現したらエッセイ作品になっていたのだ。

当時思い描いていた夢は別の所にあったが、その実現のための過程で生じた体験から得た学びや思いが、思いがけず形になった。挫折や試練が姿を変え、生きた訳である。粋な天の計らいだった。

たとえ思い描いた夢が実現できなくとも、すべてが終わった訳ではない。七転び八起き。人生の落とし穴にはまったり、転んだり、壁にぶつかった痛い経験が、次なる人生のステージの扉を開き、新しい可能性と夢をわたし達にもたらしてくれる。

だから、たとえ年を取ったからと言って、夢のすべてや人生を放棄する理由はどこにもないのだ。子供たちに負けてはいられない。夢叶う未来に向かって。思い描く目標を見据え、わたしは今日も生きていく。


by carmdays | 2015-05-27 08:14