母親と息子
2012年 04月 24日
友人と、友人の息子の子育てについて、仕事帰り話していた。
友人の息子は大変ほがらなかな子で、来年幼稚園に通う事になるそうだ。
そしたら、友人の夫が、こんな注文を言ってきたらしい。
・自分を見しなわない人間に成長できる
・逞しく育つ
こんな子に育つような幼稚園がいいと(苦笑)
これはさぁ・・人生経験から学んでいくものだよねって話しをしてたのです。
そしたら、もう1人、他の友人のことを思い出しました。
付き合っていた彼氏に、仕事を2・3年したら辞めてほしいと言われたそうです。
きっと、彼氏の中では、結婚が頭の中に会ったのだと思います。
友人は留学から帰国して居て、その学んだ事をこれからのやりたい事に活かしたいと
考えていた人。
だから、別れることにしたのだそうです。
この2つのエピソードが、わたしの頭の中で結び付きました。
どういうことかというと、
わたしからみて、日本人の母親(女性)は、男(息子)を甘やかしすぎだと思っています。
だから、欧米の男性に比べて、日本人男性は、精神的に本当の意味で自立できている人が
多い訳ではないと常日頃感じてしまうのです。
それには理由があります。
例えば、転勤することになった時、一緒に来てほしいと言う場合がそうです。
相手の女性が、自己実現のためにやりたい事があった時、それを諦めて一緒に来てと言うのは、
身勝手ではないでしょうか。
転勤なら2・3年の事なのですから、その時期、1人で暮らしてみればいいのです。
例えば、子どもがいる女性で、娘と息子がいる場合。
娘には料理を教え、掃除を教えるのに、
息子には料理を教えず、掃除のやり方も教えない。
女性、つまり、母親自身が、男尊女卑の観念が無意識にある訳です。
これらに加えて、母親という物は、息子を娘より甘やかす生き物。
私から見て、日本人の男性が、本当の意味で精神的に自立できている人が多くないと感じるのは、
そう言う訳です。
わたしの両親は、父も母も、特別かもしれませんが、大変自立して居ました。
父が外国仕事で暮らすことになった時も、母は父については行きませんでした。
長い間、家族がばらばらの場所で暮らすことになった時期もありますが、
家族はいつでも仲良しでした。
それは、信頼と絆があったからです。
父は、料理もしますし、掃除も得意。 1人でも全然平気な人です。
1人の時間は、囲碁を楽しんだり、山登りを楽しんだり、友人と飲みに出かけたりと、
寂しい人ではありませんでした。
ちなみに、父は外国人です。
でも、よく聞く話として、日本人の男性は、往々にして、1人では寂しいといいます。
独りで過ごす事が嫌だと言うご老人もいる。
だから、転勤になった時も、家族でついてきてほしいとか、
彼女には仕事を辞めてついてきてほしいとか、
身勝手な事が言えるのだと思います。
相手にも暮らしがあり、人生がある。
そのことに思い至らない訳です。
付き合っていた彼氏と別れる事を決断した友人がこう言っていました。
尊重し会えなければ一緒には居られない。
友人の場合、留学までして叶えたい事があり、やりたい事があった訳ですが、
素直に、ひとえに、応援してあげればいい訳で、
例えそれで、離れ離れに暮らす時期があったとしても、良いではないですか。
彼女がやってみたいことを、応援してあげればいいではないですか。
それができない、心の小ささと弱さが、日本人の男性にはあるように、そんな時感じるのです。
それは、なんでだろうと、考えていて。
そんな時に、今日、もう1人の友人と、その友人の息子についての子育ての仕方についての
話をしていて、はたとガ点がいったのが、
日本人女性が、ひとたび母親になると、息子を甘やかして育てすぎるから、
というものでした。
幼いころから、母親が料理を作り、掃除をし、なんでもしてあげ、いいよいいよと育てられれば、
大人になって付き合う女性にも、同じ事を求める男性ができあがっても、不思議ではありません。
これは、母親のミスです。 そして、母親、しいては女性自身の、
無意識に男性優位の観念を受け入れているからこその、問題です。
これを、男性のせいにしてはいけないのだと思いました。
友人にその気づきを話してみると、友人はこう言いました。
男の方が厳しい競争があるのに、甘やかすつもりはない。
そう言える彼女であって、良かったと思います。
欧米では、子どものころから、男の子は母親の仕事を手伝います。
皿洗い、掃除、庭掃除、犬の散歩、いろいろです。
だから、家事が女性の仕事という観念は、アジアに比べて敷居が低くなる訳です。
アジアでは、女性に母親像を求めます。
欧米では、パートナーという同士を相手に求めます。
どちらが女性が本当に生きやすいかと言えば、後者になるのは自然の事で、
昨今、男性同様、女性が外で働き、給料をもらって稼ぐようになっている今の時代では、
もはや、昔のように、男性の求める母親像まで、女性は「演じ」られない訳です。
経済的に独立できてはいても、精神的に自立できてはおらず、女性に母親像を重ねる男性。
かたや、経済的に独立を果たしていて、精神的にも自立できている女性。
こうなってくると、ミスマッチが生じて、結婚するカップルが減る理由も、
一因はそこにあるように感じられました。
この日記では、ちょっと厳しい見方を書きました。
でも、いまだに女性に料理を作ってほしい、転勤になったら仕事を諦めて一緒に来てという
男性が多いことにずっと疑問があり、その答えが、友人の息子の子育ての話から、
なんだか、納得がいくガ点を得てしまったので、書いてみました。
家族とは、夫婦とは、常に一緒に居る必要はないのです。
わたしの両親を見てそう思います。
わたしの家族を見てそう思います。
例え数年、それぞれに違う国で暮らそうと、我が家は常に仲良く暮らしてきました。
自立の本当の意味とは、つまりは、自分を自分で満たす事の出来る物同士の繋がりの中に
あるのだと、改めて思う次第です。
友人の息子は大変ほがらなかな子で、来年幼稚園に通う事になるそうだ。
そしたら、友人の夫が、こんな注文を言ってきたらしい。
・自分を見しなわない人間に成長できる
・逞しく育つ
こんな子に育つような幼稚園がいいと(苦笑)
これはさぁ・・人生経験から学んでいくものだよねって話しをしてたのです。
そしたら、もう1人、他の友人のことを思い出しました。
付き合っていた彼氏に、仕事を2・3年したら辞めてほしいと言われたそうです。
きっと、彼氏の中では、結婚が頭の中に会ったのだと思います。
友人は留学から帰国して居て、その学んだ事をこれからのやりたい事に活かしたいと
考えていた人。
だから、別れることにしたのだそうです。
この2つのエピソードが、わたしの頭の中で結び付きました。
どういうことかというと、
わたしからみて、日本人の母親(女性)は、男(息子)を甘やかしすぎだと思っています。
だから、欧米の男性に比べて、日本人男性は、精神的に本当の意味で自立できている人が
多い訳ではないと常日頃感じてしまうのです。
それには理由があります。
例えば、転勤することになった時、一緒に来てほしいと言う場合がそうです。
相手の女性が、自己実現のためにやりたい事があった時、それを諦めて一緒に来てと言うのは、
身勝手ではないでしょうか。
転勤なら2・3年の事なのですから、その時期、1人で暮らしてみればいいのです。
例えば、子どもがいる女性で、娘と息子がいる場合。
娘には料理を教え、掃除を教えるのに、
息子には料理を教えず、掃除のやり方も教えない。
女性、つまり、母親自身が、男尊女卑の観念が無意識にある訳です。
これらに加えて、母親という物は、息子を娘より甘やかす生き物。
私から見て、日本人の男性が、本当の意味で精神的に自立できている人が多くないと感じるのは、
そう言う訳です。
わたしの両親は、父も母も、特別かもしれませんが、大変自立して居ました。
父が外国仕事で暮らすことになった時も、母は父については行きませんでした。
長い間、家族がばらばらの場所で暮らすことになった時期もありますが、
家族はいつでも仲良しでした。
それは、信頼と絆があったからです。
父は、料理もしますし、掃除も得意。 1人でも全然平気な人です。
1人の時間は、囲碁を楽しんだり、山登りを楽しんだり、友人と飲みに出かけたりと、
寂しい人ではありませんでした。
ちなみに、父は外国人です。
でも、よく聞く話として、日本人の男性は、往々にして、1人では寂しいといいます。
独りで過ごす事が嫌だと言うご老人もいる。
だから、転勤になった時も、家族でついてきてほしいとか、
彼女には仕事を辞めてついてきてほしいとか、
身勝手な事が言えるのだと思います。
相手にも暮らしがあり、人生がある。
そのことに思い至らない訳です。
付き合っていた彼氏と別れる事を決断した友人がこう言っていました。
尊重し会えなければ一緒には居られない。
友人の場合、留学までして叶えたい事があり、やりたい事があった訳ですが、
素直に、ひとえに、応援してあげればいい訳で、
例えそれで、離れ離れに暮らす時期があったとしても、良いではないですか。
彼女がやってみたいことを、応援してあげればいいではないですか。
それができない、心の小ささと弱さが、日本人の男性にはあるように、そんな時感じるのです。
それは、なんでだろうと、考えていて。
そんな時に、今日、もう1人の友人と、その友人の息子についての子育ての仕方についての
話をしていて、はたとガ点がいったのが、
日本人女性が、ひとたび母親になると、息子を甘やかして育てすぎるから、
というものでした。
幼いころから、母親が料理を作り、掃除をし、なんでもしてあげ、いいよいいよと育てられれば、
大人になって付き合う女性にも、同じ事を求める男性ができあがっても、不思議ではありません。
これは、母親のミスです。 そして、母親、しいては女性自身の、
無意識に男性優位の観念を受け入れているからこその、問題です。
これを、男性のせいにしてはいけないのだと思いました。
友人にその気づきを話してみると、友人はこう言いました。
男の方が厳しい競争があるのに、甘やかすつもりはない。
そう言える彼女であって、良かったと思います。
欧米では、子どものころから、男の子は母親の仕事を手伝います。
皿洗い、掃除、庭掃除、犬の散歩、いろいろです。
だから、家事が女性の仕事という観念は、アジアに比べて敷居が低くなる訳です。
アジアでは、女性に母親像を求めます。
欧米では、パートナーという同士を相手に求めます。
どちらが女性が本当に生きやすいかと言えば、後者になるのは自然の事で、
昨今、男性同様、女性が外で働き、給料をもらって稼ぐようになっている今の時代では、
もはや、昔のように、男性の求める母親像まで、女性は「演じ」られない訳です。
経済的に独立できてはいても、精神的に自立できてはおらず、女性に母親像を重ねる男性。
かたや、経済的に独立を果たしていて、精神的にも自立できている女性。
こうなってくると、ミスマッチが生じて、結婚するカップルが減る理由も、
一因はそこにあるように感じられました。
この日記では、ちょっと厳しい見方を書きました。
でも、いまだに女性に料理を作ってほしい、転勤になったら仕事を諦めて一緒に来てという
男性が多いことにずっと疑問があり、その答えが、友人の息子の子育ての話から、
なんだか、納得がいくガ点を得てしまったので、書いてみました。
家族とは、夫婦とは、常に一緒に居る必要はないのです。
わたしの両親を見てそう思います。
わたしの家族を見てそう思います。
例え数年、それぞれに違う国で暮らそうと、我が家は常に仲良く暮らしてきました。
自立の本当の意味とは、つまりは、自分を自分で満たす事の出来る物同士の繋がりの中に
あるのだと、改めて思う次第です。
by carmdays
| 2012-04-24 20:12
| 日記