足元にある幸せ。
2012年 05月 05日
図書館から帰り路、空を見上げると、まん丸満月さまが夜空に上っていました。
自転車を走らせながら、今日1日を思い返して思った事。
それは、足元にある幸せ、でした。
母と上野にボストン美術展を見に行った帰り、駅で分かれ、わたしは駅カフェでお茶をしていました。
晴れ渡っている空を見れば見るほど、今夜は、夕涼みを兼ねながら、外のテラス席に座って
お茶をして過ごす時間を持ちたくなったのです。
思い浮かんだのは、六本木にある、とある場所でした。
素敵なテラス席があるその場所は、今までの私ならば、確かに大好きであった場所で、
きっと、以前の私なら、迷わず出向いていた所です。
でも、不思議と、なぜだか、足が向きませんでした。
頭に浮かんだのに、腰が重いのです。
どうしようかな。 家に帰りつくと、母が、図書館に行ってきたら?と行ってきました。
父が図書館にはまっていて、それに感化されて、試しに行き始めたら母もはまってしまった地元の図書館。
わたしも大好きな場所の1つです。
そうだな。 そうしようかな。
頭に浮かんだのは、地元図書館の素敵なテラス席でした。
時刻は夕方5時30分。
まだまだ外が明るい時間でした。
美しい夕陽が差し込むテラス席。
そればかりが頭に浮かんで、走らせる自転車の速度も自然とあがります。
今か今か。 はやる気持ちを抑えて、図書館に到着してテラス席に向かうと、
そこはまさしく、わたしが頭に思い浮かべていた図書館テラス席の光景がありました。
なんてきれいな景色だろう。
さっそく本を取りだし、お茶を取りだし、読み始めました。
いや、読み始めたと言うより、読みながらも、この今この瞬間のことを考えていたのです。
おととい、ボストンに旅立つ事が決まっている友人と話していた時に、
友人が教えてくれた「小確幸」という言葉。
小さいことに、確かな幸せを見いだし感じることを言うと教えてくれたその言葉を、
何度も何度も、頭に思い浮かべていたのです。
昼ごろは、わざわざ、六本木まで出向こうかと、一瞬は考えた私。
でも、腰があがらなかった。
でも、母の提案を聴いた時、足取り軽くここに来た。
頭では気づいてはいなくても、しっかりと、心は、わたしの幸せのありかを分かっていたようです。
地元に、ここ地元に、わたしの「小確幸」がある。
わたしの「足元」に、確かな幸せがある。
図書館のテラス席から見る夕陽に染まる美しい景色に、そのことを確かに感じ取っていました。
図書館で、2冊の旅行のガイドブックを借りた後、タリーズへ向かいました。
タリーズにも外にテラス席があり、夕涼みを兼ねて、景色をながめながらぼーっとすることができるからです。
フラペチーのを頼んだら、風が吹き始めていて、ちょっと寒かった。
フリースを着ていても、ちょっと肌寒かった。
でも、とてもきれいな時間だった。
空を見上げると、綺麗な夕焼け空が広がっていて、聞いていた曲はクリスマス・ソングだった。
クリスマスの時期になっても、ここに来て、こうして豊かな時間を過ごして居たい。
そうやって、気づけば夜になっていて、自転車を走らせ自宅に向かえば、
夜空にまん丸満月が昇っていたのです。
人によって、幸せのありかは、どこか遠くの場所にあるかもしれない。
例えば、ニューヨークであったり、例えば、どこかであったり。
わたしの場合は、ここ東京が、ここ地元が、今ある暮らしの日常の全てが、幸せのありか。
足元にありました。
自転車を走らせながら、今日1日を思い返して思った事。
それは、足元にある幸せ、でした。
母と上野にボストン美術展を見に行った帰り、駅で分かれ、わたしは駅カフェでお茶をしていました。
晴れ渡っている空を見れば見るほど、今夜は、夕涼みを兼ねながら、外のテラス席に座って
お茶をして過ごす時間を持ちたくなったのです。
思い浮かんだのは、六本木にある、とある場所でした。
素敵なテラス席があるその場所は、今までの私ならば、確かに大好きであった場所で、
きっと、以前の私なら、迷わず出向いていた所です。
でも、不思議と、なぜだか、足が向きませんでした。
頭に浮かんだのに、腰が重いのです。
どうしようかな。 家に帰りつくと、母が、図書館に行ってきたら?と行ってきました。
父が図書館にはまっていて、それに感化されて、試しに行き始めたら母もはまってしまった地元の図書館。
わたしも大好きな場所の1つです。
そうだな。 そうしようかな。
頭に浮かんだのは、地元図書館の素敵なテラス席でした。
時刻は夕方5時30分。
まだまだ外が明るい時間でした。
美しい夕陽が差し込むテラス席。
そればかりが頭に浮かんで、走らせる自転車の速度も自然とあがります。
今か今か。 はやる気持ちを抑えて、図書館に到着してテラス席に向かうと、
そこはまさしく、わたしが頭に思い浮かべていた図書館テラス席の光景がありました。
なんてきれいな景色だろう。
さっそく本を取りだし、お茶を取りだし、読み始めました。
いや、読み始めたと言うより、読みながらも、この今この瞬間のことを考えていたのです。
おととい、ボストンに旅立つ事が決まっている友人と話していた時に、
友人が教えてくれた「小確幸」という言葉。
小さいことに、確かな幸せを見いだし感じることを言うと教えてくれたその言葉を、
何度も何度も、頭に思い浮かべていたのです。
昼ごろは、わざわざ、六本木まで出向こうかと、一瞬は考えた私。
でも、腰があがらなかった。
でも、母の提案を聴いた時、足取り軽くここに来た。
頭では気づいてはいなくても、しっかりと、心は、わたしの幸せのありかを分かっていたようです。
地元に、ここ地元に、わたしの「小確幸」がある。
わたしの「足元」に、確かな幸せがある。
図書館のテラス席から見る夕陽に染まる美しい景色に、そのことを確かに感じ取っていました。
図書館で、2冊の旅行のガイドブックを借りた後、タリーズへ向かいました。
タリーズにも外にテラス席があり、夕涼みを兼ねて、景色をながめながらぼーっとすることができるからです。
フラペチーのを頼んだら、風が吹き始めていて、ちょっと寒かった。
フリースを着ていても、ちょっと肌寒かった。
でも、とてもきれいな時間だった。
空を見上げると、綺麗な夕焼け空が広がっていて、聞いていた曲はクリスマス・ソングだった。
クリスマスの時期になっても、ここに来て、こうして豊かな時間を過ごして居たい。
そうやって、気づけば夜になっていて、自転車を走らせ自宅に向かえば、
夜空にまん丸満月が昇っていたのです。
人によって、幸せのありかは、どこか遠くの場所にあるかもしれない。
例えば、ニューヨークであったり、例えば、どこかであったり。
わたしの場合は、ここ東京が、ここ地元が、今ある暮らしの日常の全てが、幸せのありか。
足元にありました。
by carmdays
| 2012-05-05 20:05
| 日記