人の評価
2012年 07月 25日
さっき、同僚の一人がわたしのところにきた。
どう?調子は? 上司とうまくやってる?
以前の上司がパワハラマンだったから、そう聞いてきたのだった。
おかげさまで、いまの上司とはうまくやっていて、平和に働いている。
そう回答したら、悪気はないのが、こういわれた。
結局のところ、この仕事なんて、努力じゃないから。
すべては、上司との相性で決まるから。
第一印象が良ければ、あの子いいよねってなるし、
他の人がえぇ~そうかなぁといったって、そうなるわけだし。
遊んでたって問題にもならなしさ。
だって。
それって、わたしのことを言ってるのか、だれか一般論的なことを言ってるのか、
一瞬どちらだ?と思う発言だった。
でも、たぶん、どこかで私を想定していった発言だと直感で思った。
ってことは、わたしの上司なり、ほかの誰かは、わたしをいいよねっていう印象を持っていてくれて、
そうじゃない人もいるってこと。
ま、そうだよな。 って、思った。
職場は仲良しクラブじゃないし、友達同士の場でもないから、
素の自分を出せる場とは限らず、
自分のすべて、良さを出せる状況や場面で、相手と初めて出会うとも限らない。
そんな限定的な要素の中で、たがいに出会うのだから、印象がよかったり悪かったり、
人によってまちまちなのは、自然なことなんだろう。
この世の中、万人に好かれる人などいない。
同僚が正しいことを言ってるとしたら、相性がそのほとんどを決めてしまうって部分かもしれない。
そればかりは、自分では選べない。
だって、出会いは、いつだって選べないからだ。
間接的に、わたしによい印象をもっていない人が存在することを知った出来事になったが、
だから、気持ちは不快だが、
だからって、人の良い評価ばかりを追い求めて、きゅうきゅうとするのはいやだ。
自分らしさが消えてしまうし、自分を見失う。
少なくとも、上司、同僚たちと仲良く働けているのだから、部外者にどんな印象をもたれるかは、
このさい、気にしないことだなと思った。
みんな、多かれ少なかれ、他人に対して、何かを思っている。
人の評価を気にするくらいなら、自分の仕事に専念します。
どう?調子は? 上司とうまくやってる?
以前の上司がパワハラマンだったから、そう聞いてきたのだった。
おかげさまで、いまの上司とはうまくやっていて、平和に働いている。
そう回答したら、悪気はないのが、こういわれた。
結局のところ、この仕事なんて、努力じゃないから。
すべては、上司との相性で決まるから。
第一印象が良ければ、あの子いいよねってなるし、
他の人がえぇ~そうかなぁといったって、そうなるわけだし。
遊んでたって問題にもならなしさ。
だって。
それって、わたしのことを言ってるのか、だれか一般論的なことを言ってるのか、
一瞬どちらだ?と思う発言だった。
でも、たぶん、どこかで私を想定していった発言だと直感で思った。
ってことは、わたしの上司なり、ほかの誰かは、わたしをいいよねっていう印象を持っていてくれて、
そうじゃない人もいるってこと。
ま、そうだよな。 って、思った。
職場は仲良しクラブじゃないし、友達同士の場でもないから、
素の自分を出せる場とは限らず、
自分のすべて、良さを出せる状況や場面で、相手と初めて出会うとも限らない。
そんな限定的な要素の中で、たがいに出会うのだから、印象がよかったり悪かったり、
人によってまちまちなのは、自然なことなんだろう。
この世の中、万人に好かれる人などいない。
同僚が正しいことを言ってるとしたら、相性がそのほとんどを決めてしまうって部分かもしれない。
そればかりは、自分では選べない。
だって、出会いは、いつだって選べないからだ。
間接的に、わたしによい印象をもっていない人が存在することを知った出来事になったが、
だから、気持ちは不快だが、
だからって、人の良い評価ばかりを追い求めて、きゅうきゅうとするのはいやだ。
自分らしさが消えてしまうし、自分を見失う。
少なくとも、上司、同僚たちと仲良く働けているのだから、部外者にどんな印象をもたれるかは、
このさい、気にしないことだなと思った。
みんな、多かれ少なかれ、他人に対して、何かを思っている。
人の評価を気にするくらいなら、自分の仕事に専念します。
by carmdays
| 2012-07-25 17:04
| 日記