内なる眼
2012年 11月 09日
世間一般では、審美眼と言われる、内なる眼。
本物を見極める目、ともいえるし、
人間の本性の良しあし、
もののありようを見抜く目、ともいえる。
以前に書いた日記で、ウソを見抜く技術、という本を読んだ感想を書いたのだが、
いまこうして読み終わってから時間がたって思うことというのがある。
それは、やはり、経験を積むしか、ウソは見抜けないし、ましてやわかることもない。
痛い思いをするのは、必要悪、とでもいおうか。
痛い思いをし、あぁ、この人間は、こういうやつか、と、悪い事例をまた1つ積み重ねれば、
次に、同じようなことが起きたとき、
または、同じような人間と出会ったとき、
対処できる。
そもそも、ウソを完全に見抜くというのはできぬものなのかもしれないが、
良い方法というか、良い対処は、
その時に、どれだけ1回で、または迅速に、防御策、対抗策を取れるか、ということなのだと思う。
いたって平凡なのだが、いいことだけを並べる人は、信じてはいけないと思う。
いたって平凡なのだが、自分を悲しませる、自分に辛い気持ちを抱かせる、
自分を不愉快にさせる人は、遠ざけるべき人だということだ。
結局のところ、人を、良く見るということから、人間の本性を見抜けるかの審美眼を鍛錬する努力が
始まるのかもしれない。
本物を見極める目、ともいえるし、
人間の本性の良しあし、
もののありようを見抜く目、ともいえる。
以前に書いた日記で、ウソを見抜く技術、という本を読んだ感想を書いたのだが、
いまこうして読み終わってから時間がたって思うことというのがある。
それは、やはり、経験を積むしか、ウソは見抜けないし、ましてやわかることもない。
痛い思いをするのは、必要悪、とでもいおうか。
痛い思いをし、あぁ、この人間は、こういうやつか、と、悪い事例をまた1つ積み重ねれば、
次に、同じようなことが起きたとき、
または、同じような人間と出会ったとき、
対処できる。
そもそも、ウソを完全に見抜くというのはできぬものなのかもしれないが、
良い方法というか、良い対処は、
その時に、どれだけ1回で、または迅速に、防御策、対抗策を取れるか、ということなのだと思う。
いたって平凡なのだが、いいことだけを並べる人は、信じてはいけないと思う。
いたって平凡なのだが、自分を悲しませる、自分に辛い気持ちを抱かせる、
自分を不愉快にさせる人は、遠ざけるべき人だということだ。
結局のところ、人を、良く見るということから、人間の本性を見抜けるかの審美眼を鍛錬する努力が
始まるのかもしれない。
by carmdays
| 2012-11-09 12:26
| 日記