依存と自立
2013年 09月 02日
今朝、愛猫が、道路に飛び出し、車にひかれそうになった。
間一髪。 生き延びた。
その瞬間の光景が、スローモーションで何度もよみがえる。
わたしは、ただ見てるしかできなかった。
守りたくても、護りきれない。
その限界を知った。
運命というものがあるのなら、愛猫は、遅かれ早かれ死ぬ。
いつも、一緒に生きてきた愛猫が、その存在が消える。
いつも、居ることが当然の愛猫が、次の瞬間から、居なくなる。
まるで、前に死んだトラミみたいだと思った。
親も、友も、通りすがりの人も、後50年後にはみな死ぬ。
あたしも、死ぬ。
老後、独りきりで、自宅でいて、誰とも会話しないわたしを、思い浮かべた。
今から、その時に備える必要があると、感じた。
無意識に依存している対象である、家族、友、愛猫、上司、職場の人。
いつ、いなくなっても、いつ、消えても、いつ死んでも。
自分がそこから独立した気持ちでいないとダメだ。
そう、思った。
間一髪。 生き延びた。
その瞬間の光景が、スローモーションで何度もよみがえる。
わたしは、ただ見てるしかできなかった。
守りたくても、護りきれない。
その限界を知った。
運命というものがあるのなら、愛猫は、遅かれ早かれ死ぬ。
いつも、一緒に生きてきた愛猫が、その存在が消える。
いつも、居ることが当然の愛猫が、次の瞬間から、居なくなる。
まるで、前に死んだトラミみたいだと思った。
親も、友も、通りすがりの人も、後50年後にはみな死ぬ。
あたしも、死ぬ。
老後、独りきりで、自宅でいて、誰とも会話しないわたしを、思い浮かべた。
今から、その時に備える必要があると、感じた。
無意識に依存している対象である、家族、友、愛猫、上司、職場の人。
いつ、いなくなっても、いつ、消えても、いつ死んでも。
自分がそこから独立した気持ちでいないとダメだ。
そう、思った。
by carmdays
| 2013-09-02 17:08
| 日記